[💭] 何かに追われている忙しい状態は、一種の悪なのかもしれない
✨ Gemini 2.5 Proの要約
ふと、こんなことを思った。「何かに追われている状態」は、一種の「悪」として定義できるのではないだろうか。
- 原文: http://blog.naver.com/hyeogikarp/223913282435
- Naver公開時刻: 2025/06/27 08:39 KST
- 原文カテゴリー: 断想
原文
ふと、こんなことを思った。
「何かに追われている状態」は、一種の「悪」として定義できるのではないだろうか。
心理的に、時間的に、経済的に……何かに追われるようになると、理性と感性はかなりの部分で麻痺し、ただその状態から抜け出したいという本能的な欲求にとらわれる。
こうした反応は、おそらく原初的な生存本能の一種なのだろう。
ところが皮肉なことに、この本能だけに忠実であればあるほど、僕たちは別の存在を傷つけたり、道徳的な判断なしに行動したりする可能性が大きくなる。
だとすれば、本能だけに依存している状態そのものが、一種の「悪」なのかもしれない。
以前のことだ。バスが予想外の道路規制で20分ほど遅れたとき、ある乗客が何の罪もないバスの運転手さんに散々怒りをぶつけながら降りていくのを見た。
そしてその乗客のせいだったのか、あるいは配車時間に支障が出たせいだったのか、その運転手さんはその後ずっと独り言でひどい悪態をついていた。
その場面を見ながら、ふとこんなことを思った。
追われている人は、また別の人を追われる状態にする。そしてそうやって、みんなが逃げるように生きていく構造の中で、道徳性と感受性はだんだん薄れていく。
また、つい昨日のことだ。
昨日は一日中、教会の仕事にすべての時間を注いだ。
以前、心に余裕がなかったときは、奉仕する良い気持ちで始めたものが、義務と責任になって戻ってくるすべての働きが大きな負担になっていた。
けれど今日のように心に余裕が生まれると、義務と責任になって大きな負担だった働きが、奉仕する良い気持ちへとまた戻っていった。
こうした一連のことを見ていると、やはり「追われている状態」は一種の「悪」として定義できそうな気がする。
韓国社会が根性で歯を食いしばっている人だらけなのも、この文脈がある程度作用しているからではないかとも思ったりして……笑
まあ、僕にもよく分からない。





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